Naoto
Naoto Naoto Hieda

海外留学は失敗してもいい

海外留学は失敗してもいい

北米の大学院も合否発表のシーズンが過ぎ、ツイッターのタイムラインを見ていると直接フォローしているわけではないですが海外大学院に合格したという日本の学生のツイートを目にすることがしばしばありました。

私自身、東京工業大学の学部を卒業してから2012年から2015年までカナダのモントリオールのマギル大学で修士課程に在籍しました。モントリオールを選んだ理由はいくつかあるのですが、アメリカを除外する決心をしたのは2010年に米国大学院学生会のアメリカ大学院留学説明会に参加した時です。当時学位留学をしていた三、四名が海外での大学院生活について話していただき、その際の講義の大変さや研究室での立ち回りなどの話はとても参考になりました。このような会を企画していただき、現在でも継続している米国大学院学生会には感謝しています。ただ、質疑応答の際に聴衆の中でむやみにアメリカの大学を持ち上げて最終的には「アメリカ最高」という結論にまで持っていかれたのと、アメリカと海外を同義的に扱っていることに嫌気がさしてアメリカ以外の大学院を探すことにしました。その頃ちょうど東工大にモントリオールから訪問していた先生がいらっしゃって、話を聞く中でマギル大学のことを知りました。モントリオールはケベック州で公用語はフランス語なのですが、大学はマギル大学やコンコーディア大学といった英語で教えている大学とモントリオール大学やケベック大学モントリオール校などフランス語の大学に分かれます。当時はフランス語を第二外国語として勉強していて必修科目を修了してからもフランス語を勉強していましたが、フランス語で勉強するレベルには到底達していなかったのでマギル大学を選ぶことにしました。

海外大学院は GRE や TOEFL のスコアを送って(現在は GRE を必須としていない大学も出始めているようですが)、プロポーザルと推薦状を提出するだけで済むので手あたり次第併願するのがおすすめです。私は面倒だったのでマギル大学とトロント大学に出願してマギル大学のみスカイプでの面接に進んで合格しました。カナダでは日本のように、アメリカと違い入学前に研究室を選んで面接をすることが一般的です(逆にアメリカでは入学してから自分の力で研究室を探さないといけないそうです)。しかし、今思えばマギル大学の研究室に合格したのは先生がサバティカルから戻ってきたばかりで研究室を再起動しないといけないタイミングで入学のハードルが低かったのではないかと思います。先生には論文の、特に文章の書き方などをよく見ていただいて感謝していることも多くありますが、面倒見が悪い面もあり先生の講義の単位を落としたこともあって一時期私はだいぶふさぎこんでいました。というのも学生の「価値」は講義の成績である GPA と論文をどこに出しているかで決まるようなものなので、講義を落とした時点でスコアの平均である GPA の数値を取り繕うことはできなくなってしまい、すなわち博士課程への進学は難しくなります。

大学院にいて嫌になるほど聞く話題は、修士課程の間は「博士課程に進学するのか」そして博士課程になってからは「いつ博士課程を終えるのか」ではないかと思います。そうやって学生自らヒエラルキーを作っていって、ソリッドなシステムができあがっている。一方で大学院に行くと、必ずといっていいほど「強くてニューゲーム」の学生がいます。既に論文投稿をしている、複数年の奨学金(もちろん支給型)を持っている、といった人たちです。もちろんそれだけの努力をしてきているのだし責めるいわれはありませんが、そういった人たち相手に日本の学部を出たばかりで実績のない自分のような学生ではとても太刀打ちできません。いつも頭ごなしに否定されているような気がしていました。私も初めは博士までとるつもりでいましたが、もともとアーティストになる夢を持っていたこともあり、今は耐えて修士だけは取ってそれからのことはその時考えることにしました。

2013年にはボストンの日本人向けキャリア・フォーラムに行って日本の大手電機メーカーの内定もいただいたのですが、修士論文が再提出になったこともあり入社は延期となりました。それから更に一年たって修士論文を提出して三年のリミットぎりぎりで修士課程は終えられたのですが、その頃には日本で雇われて働くことに対する気持ちも冷めていて、カナダでなんとかやっていくことに決めました。それからのことは学位留学とは関係ないので別の機会に書こうと思いますが、しばらくの間は研究室の先生からも博士に進まないのかと勧められていました。しかし、今になって思うのは先生が必要としていたのは論文を書いて実績を残す私ではなく、研究室で器用にプログラミングや電子工作をして他人の手伝いをする私だったのではないかということです。修士課程こそ終えられましたが、それまでの経過から自分はアカデミアのスキームからはドロップアウトしていたことを認識していましたし、それを自覚して無理に博士課程に進まなかったことは間違っていなかったと思います。

卒業から4年余り経った2019年、私はドイツのケルン・メディア芸術大学で再び修士課程相当のディプロムIIに入学しました。謙虚さに生きるようにしてはいますが、経験などを加味すると今では自分が「強くてニューゲーム」側に立っていると思っています。その上で周りとのバックグラウンドの違いを意識して、受身的に学ぶことよりも制作に集中することや教授とのコミュニケーションを大切にすること、前から意識しているコミュニティ・ビルディングも制作のプロセスに取り込むなど、自分なりに修士課程を進めていくイメージもしています。芸術大学では工学部のようなヒエラルキーはありませんが、それでも教授らを含めて奇妙なパワーバランスというか、政治的な面はあると思います。特にこの記事としての結論はありませんが、悩んでいる学生に何かアドバイスできることがあるとすれば、アカデミアにしがみつくことだけが人生ではありません。そして、アカデミアは競争を意識させて不用意に学生や研究員たちを追い詰めます。ドロップアウトすることは負けではなく、その経験を生かして次のステップを踏むためのプロセスです。私は工学部に学位留学して苦汁を飲まされたことがいい経験だとは決して思っていませんが、当然スキルとしても人生経験としても学んだことは多かったし、そのおかげで今現在落ち着いた気持ちで再び学位留学できているのではないかと思います。

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