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Transmediale 2020

Transmediale 2020

ドイツのベルリンで2020年1月31日から2月1日に行われた Transmediale シンポジウムのレポートです。

在学中のケルン・メディア芸術大学では Hans Bernhard らのインターネットに関するセミナーに参加しており、そこから学生20人ほどが課外授業としてシンポジウムの聴講をしました。最近は発表者としてフェスティバル等に参加することが多かったのですが、今回は久々にゆっくりと楽しむことができました。大学ではセミナーごとに予算がついており、シンポジウムのチケットとケルンからベルリンまでの交通費の半額はそこから負担してもらえました。ただ、宿泊先は各自で探すことになっていたので、夏にいっしょに制作をした友人の家に泊めてもらい、自転車を借りて会場の Volksbühne と行き来しました。

Transmediale には初めて参加したのですが、デジタル・カルチャーやデジタル・アートにおける人種差別や機械学習といったテーマについての発表がありました。セッションごとに二人から三人ほどの発表があり、その後更に数名の有識者を交えてディスカッションをする形式です。

最初のセッションではネットワークの When と Where を切り口に人種差別が議題になっていました。Michelle M. Wright の発表はとても訴えかけてくるスピーチで、内容においても例えば第二次世界大戦中にアフリカの女性が何をしていたのか、ということを考えたときに、その当時のアフリカの女性は「第二次世界大戦中に自分は何をしているのか」とは絶対に考えていなかっただろうと白人至上主義の潜在的な問題について話していました。そのセッションのモデレーターの Diana McCarty は Hans Bernhard とも仲が良くケルンのセミナーでもゲストとしてトークをしており、その際の質疑応答などで既にお話しする機会がありました。セミナーでは Diana がこういったフォーマルな場よりも煙草で一服しているときに話すほうが大事、といった趣旨の話をしていたのですが、Transmediale でもセッションの合間に外で何度か立ち話をしました(というよりほとんど向こうから話を聞かせてくれるのですが、重要なリファレンスがいくつも出てきてためになります)。

Olia Lialina のレクチャー・パフォーマンス「end-to-end, p2p, my to me」ではジオシティーズ等のアーカイブが用いられていました。タブをいくつか開いてバックグラウンドの音楽を DJ のようにつないだり、「welcome to my page」「under construction」など黎明期のウェブページによく見られた文言を解説を交えながら系統立てて紹介していました。残念ながらインターネット接続が不調で途中でスクリーン・キャプチャに切り替えていましたが、コンテンツを保存するだけでなくそこから新しいコンテンツを作る活動はウェブ・レジデンシーをしている私にとってとても参考になります。後で教えていただいたのですが、Olia はアーカイブの他にも Best Effort Network というサイトを制作していて、このサイトを見ているのが自分一人である場合のみアバターが表示されるそうです。

クラウド・コンピューティングに関するセッションでは Ulises Ali Mejias のノードに関するプレゼンテーションが興味深かったです。ネットワークにおいては Nodocentrism (直訳するとノード中心主義)という、ノード同士のつながりが重要だという考え方が支配的ですが、Ulises は Paranodality という、ノードのつながりではなくその間に存在する空間に目を向けようというアイディアを提唱していました。

人工知能のセッションでは Katharine Jarmul が「Hacking “AI”」というタイトルでプレゼンテーションをしました。Adversarial Attack の例として画像認識の結果が「ライフル」になるカメのフィギュアや顔認識を正常にできなくするためのメイクアップが紹介されていました。その他、ウェブサイトにアクセスする際に誤った情報をサーバに送ることで学習データに毒を盛る (poisoning) アドオン Privacy Possum の話もありました。

スクリーニングではまず Myriam Bleau の Eternity Be Kind を観ました。彼女の作品はモントリオールにいた際に観た Soft Revolvers というコマ型の DIY デバイスを用いて DJ をする作品が好きだったのですが、今回の作品はアバターが終始踊っており舞台の前においてある iPad にテキストが出てくる映像作品で技術的なおもしろさはあまりありませんでした。ちなみに参加者も Wi-Fi にスマートフォンをつないで特定の URL にアクセスすると同じテキストの画面が見られるような仕組みになっていたのですが、システムに問題があり聞いた中では誰も接続できなかったようです。二つ目の AIDOL 爱道 は Lawrence Lek の映像作品で、アイドルやイースポーツをテーマとしながら未来の人工知能について描いています。


ここからは雑感ですが、大学の行事として参加すると行動範囲がとても狭くなってしまう。ほとんどの学生はグループを作って行動していたし、何度か教授を交えてミーティングをしていたせいで外部の人とのつながりも少なそうだった。Diana の話ではないけど、こういったイベントではトークを聞くことよりもネットワーキングこそ大事。僕はミーティングを全てすっぽかしたのだけど、たまたま教授に用があって会議室に入って(しかも大学で買ってもらったチケットの余りを横流しするというしょうもない理由で)、気まずい感じになって「ここに残ってミーティングに参加したほうがいい?」と聞いたら「いや別にいいよ」と言われたのでそのまま部屋を出て他の人たちとだべっていた。大学では自称ディーバというか、かなり自分勝手にやらせてもらっているけどその分教授らとはうまくやっているつもり。というか、Hans にはネットでは知り合いだけどリアルで会ったことがないという友達のキュレーターを紹介したのに、僕が紹介してほしいと言っていたグリッチ・アートの Rosa Menkman のことは結局紹介してもらう機会がなかった(自分からステージまで行ってあいさつしたのでよかったけども)。

この件も含めて今回はネットワーキングでだいぶ疲弊した。自分が発表者として参加するときは周りから話しかけてくれるし、自分のことを紹介する必要もないのでだいぶ気が楽だけど、一般の参加者の場合は自己紹介だけでなくなぜ相手に興味があるのか(どういう関係があるのか)まで話さないといけない。今回は Rosa の他にも前からずっとファンだったネイルとデジタル・アートの Nadja Buttendorf と会えただけでなくネイルをほめてもらえたのがうれしかった。ソフト・ネイルと ASMR の作品とか最高なのでぜひチェックしてください。

シンポジウムの内容については菅野さんらと話していたのだけど、アカデミックな専門色が強く、デジタル・アートに関するシンポジウムといいながらアートや技術系出身の人にとっては(知識不足で)ちんぷんかんぷんな内容だったトークもいくつもあった。また、内容はおもしろいけど淡々と原稿を読んでいるものもあって残念だった(自分の場合はカオス・コミュニケーション・コングレスの時など、プレゼンテーションもパフォーマンスの一環と考えているからこれについてはとても批評的になってしまう)。上記の大学の件もあるけど、学生にとっては来るだけ時間の無駄なのでは、という考え方もある。恐らく芸大の教授らもきちんと理解しているわけではなく、自分のわかる範囲で理解しながら意見を述べているのだと思う。ただ、重要なのはこういった機会だけでなく定期的にディスカッションする機会を作ることで、そういった意味ではベルリンの Disruption Network Lab やニューヨークの School for Poetic Computation の取り組みは素晴らしいと思うので今後自分のネットワークである Processing Community Day Tokyo や Creative Code Köln でもそのようなアイディアを取り入れられたらと思う。

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