COVID-19: 3月から6月まで
ドイツでコロナウイルスの拡大が始まって自粛を余儀なくされた3月中旬から6月現在までの雑感です。
3月は二週間ほどドルトムントのシアターでレジデンスしているアーティストのオーディオビジュアル作品の手伝いをしていた時期だったのですが、日に日に開いている店が減っていく光景は異様でした。まずショッピングモールなどが閉まり始め、レストランやファーストフード店も次第に閉まりドイツ人の「必需品」であるパン屋も入店制限がかかるようになりました。友人のアーティストと見つけたお気に入りのアイス・パーラーも閉まってしまい、代わりにマクドナルドでマックフルーリーを食べました。レストランでは間隔をあけて座るように言われ、そのレストランも閉まってからは昼に宿に戻って自炊していました。ケルンに戻ってから、4月にもシアターで作業する予定だったのですがキャンセルとなり、代わりにリモートで作業を続けました。プロジェクト自体はツールやチュートリアルの制作という面を兼ねていたため無事に終わったものの、パフォーマンスとして発表する機会がなくなってしまったのは残念です。
ちなみにドルトムントにいた頃、吉野石膏美術振興財団の助成金に採択されたとの連絡をいただきました。時差のため、朝起きるとメールで連絡が来ていて驚いてベッドに入ったまま真っ先に母に電話しました。当初は補欠での採択だったのですが、コロナウイルスの影響もあってか繰り上げで正式に採択されることになりました。コロナウイルスに関係なく先が見えない状況だったので願ってもいなかった機会に本当に感謝しています(もちろん去年応募書類を出していたからこそなのですが)。2017年にもポーラ美術振興財団から助成金をいただいたのですが、その時の闇雲に活動していた時期と違い、ニューロダイバーシティといった制作のトピックや Processing を中心としたコミュニティ・ビルディングに注力しようという方針が固まっていたので、助成期間の一年間の捉え方も前回よりもクリアで見通しが立てやすいと感じています。
四人までの入店制限が設けられたドルトムントのパン屋。2020年3月17日撮影。
ケルンに戻ってからの4月から6月の現在までは外出は控えながら生活しています。その間、いくつかのオンラインの企画を立ち上げたり、オンラインの企画に参加していました。4月から5月上旬まではアニー・アブラハムのディスタント・ムーブメント及びディスタント・フィーリングスというセッションに参加していました。毎週二回15分ずつ Zoom で集まり、水曜日には目をつむってナレーションに応じて動いたり、金曜日には瞑想をするというセッションでした。詳しくはこちらにまとめています。また、毎週土曜日にはネットワークとパフォーマンスに関する集まりを企画して、ニューヨークにいるダンサーの友人や、この企画を通じて知り合ったベルギーのアーティストらと「実験」をしたりコンセプトについて話し込んだりしました。そして6月の一週目にはモントリオールのダンサーの友人とオンラインでのアーティスト・イン・レジデンスと称してインターネットを介してどのようなコラボレーションをすることができるかのリサーチをしました。カバー画像の料理の写真はその時のもので、二人で同時にパテ・シノワ(ケベック風シェパーズ・パイ)を作りました。
3月から6月上旬まではベルリンの友人が毎日平日に昼食会を開いており、ほぼ毎日参加していました。クリエイティブ・コーディング・ベルリンという月二回のミートアップを企画している友人が行っていたもので、12:30から一時間ほど料理をしたり食事をしながら jitsi 上でビデオ通話をするというものでした。jitsi のリンクは公にはしていないものの仲間内で共有していたため、固定メンバーが五人ほどいた他、日によって珍しいゲストがくることもありました。決まったメンバーで毎日昼食をとるという習慣は、私の場合は最近では2019年の初めに一か月ほど都内で仕事していた時と、それ以前は2016年にモントリオールの大学で研究員をしていたころまで遡るのではないかと思います。集まって食事をとることのおもしろさは、普段自分は考えていないことを他人が考えているということを知ることにあるのではないでしょうか。同業者の友人なので技術的な話や取り組んでいるプロジェクトの話も頻繁にしますが、その他にもテレビ・シリーズの話や、自炊が続くようになったせいで料理に没頭しピザを自炊するようになった友人の話、海外で買ったポスターの話、外で摘んで食べられるハーブの話なども話題に上りました。
昼食会では毎回最後に集合写真を取りました。
5月はいくつかのイベントを企画しました。これまでも取り組んでいた Processing コミュニティのグローバル版ハングアウト(英語)や日本版ハングアウト(記事は英語ですが日本語の動画リンクあり)の企画、運営を行いました。前者は30人ほどのプレゼンターを招いて6時間にわたり、日本版も7人にライトニング・トークをお願いしました。イベントは大盛況に終わり、さらには企画をする中で主に北米やヨーロッパで活動している、才能のある魅力的な方々と知り合うことができました。しかしその後は予想通りバーンアウトを起こしました。月一回のイベントが理想だと思っていたのですが、ひとりが中心となって動くと持続させるのは難しいことも思い知らされました。特に負担になったのは当日のオペレーション自体ではなく毎週のミーティングでした。日時を決めてスラックで告知するだけだと集まりが悪いため、毎週二十人ほどの参加者の予定を Doodle (ドゥードゥル)という英語の(元祖)調整さんのようなサービスで確認して予定を立て、グーグルのカレンダーでミーティングの通知をし、新しい参加者を Slack に招待し、といった一連の連絡作業を行っていたことがストレスとなりました。逆に日本版は二、三人の少人数で行っていたため毎週同じ時間に集まりフットワークも軽いため、現在もイベントを継続できています。
3月から5月にはゲストを呼びながらポッドキャストを収録しました。初めは質問に答える形で一人で録っていたのですが、その後はゲストを呼んで海外生活などについてとりとめのないことを話しました。あるときから「いつもふとその場で消えてしまうような、友だちとの会話をアーカイブとして残す」ことを意識しました。しかしゲストを四組ほど呼んでからはゲストを集めることに難航して、結局立ち消えとなってしまいました。
4月頃から田舎の未来プレイヤーズという、さのかずやさんの運営するサークルに参加しています。地域や分野によらず、全国の田舎でライターなどの活動している方々の集まっているグループで、直接関係はないものの試しに入会しました。現在は Slack でやりとりをしているのですが、私の活動の一つであるコミュニティ・ビルディングやイベント運営といった面で共通していることが多々あり、何よりポジティブなエネルギーで積極的に動いている方々ばかりで私のやる気にもつながっています。月一回程度 Zoom で集まる「田舎の飲み会」を行っており、そこではドイツでの生活について話したり運営についての意見交換をしています。その他にも参加者のプロデュースしている商品を注文して私の家族に送ったところ好評だったり、その話をまた集まりで共有してフィードバックするなど様々な形で交流をしています。
オンラインで共感した友人の商品をオンラインで購入し、サプライズとして家族に贈る。
デュッセルドルフ工科大学でダンスとテクノロジーに関する共同プロジェクトに携わっているのですが、始まってすぐに自粛期間となってしまったためしばらく中断していました。6月に入ってからはドイツでは飲食店だけでなく店や美術館なども再開し始めたこともあり、本プロジェクトも少しずつ再開してオフィスにも週一回程度顔を出しています。そこで友人と昼食にラーメンを食べに行った(デュッセルドルフは日本人が多くリトル・トーキョーが有名)のですが、実世界で人と対面で食事をするのは久しぶりのことでした。前述のように食事中にビデオで会話することには慣れていたものの、目の前で餃子を取り分けて食べるというのは不思議な体験でした。
目の前にある餃子を食べる体験を誰かと共有する。
また、今週末は仕事以外のコンテキストで友人と会って昼食をとりました。エーレンフェルトというケルンの中でもヒップなエリアでトルコのマンティという水餃子のようなものを食べ、それからカフェに行ってエスプレッソを飲み、アイス・パーラーに立ち寄るという、何気ない午後を過ごしました。その友人とはモントリオール時代から8年近くつるんでいて、去年ベルリンにいたときも何度も会ってキーツ(ベルリンの地区は俗にそう呼ばれます)で一番おいしいカフェに入り無駄な時間を過ごす。この日はその頃の日々と同じようでありながら、二、三か月続いた自粛期間の後の「何気ない午後」は特別なものでした。
この記事の中でオンラインでの人との関わりやその後の実世界での関わりについて書きましたが、オンラインでは多くの発見があったし、長い自粛期間の後の実世界での付き合いの中には今までになかった新鮮さがありました。しかし既にスーパーなど最低限の外出で済ませる生活も終わりを迎えつつあり、日本でもドイツでも新しい行動様式が唱えられています。私はそもそもあまり外に出るのが好きではないので、特に私にとって待ち望んでいたことではありません。今後の私たちの生活や芸術関連の業界のあり方について様々な意見が交わされているようですが、私はそういった考え方の名称に「コロナ」という名前を用いるべきではないのではと思っています。コロナウイルスは今後も2020という年のイメージが染みついてしまうし(そもそも COVID-19 を引き起こすウイルスのことでありコロナウイルス自体は2020年に限ったものではありませんが)、将来2025年、2030年となったときに例えば「アフターコロナ」という名前は古く映ってしまう。現に、地域によってはコロナウイルスはもう終わりを迎えていると考えている方も多いようです。仮に収束した後にもオンラインを中心としたり、人ごみを避けるといったことは私たち自閉症スペクトラムにとって助けになるでしょう。これを機にコミュニケーションのあり方自体が変わっていくべきだし、それには自閉症等の発達障害など、多様な視点が反映されていかなければなりません。そしてそれは今後一か月や一年というスパンではなく、継続されるべきであり弱者の視点から常に見直されなければならないのではないでしょうか。